あいむすぶ

日記という名の感情のはきだし

投稿者: ai

  • 2024年12月30日(月)

    心臓あたりが締め付けられて、ものすごく圧迫感が強い感じ。
    ここ半年くらいで、特に「そういう時間」が強くなってきた。

    叱られすぎて、失敗しすぎて、怒られすぎて。
    上手くいかなすぎて、結果がでなくて、自己嫌悪しまくって。
    自己否定して、自分に「イヤな言葉」を自分でもかけまくってきて。
    もうどれくらい経つだろうか。

    助けてもらってきた感謝よりも、イヤな気持ちがうわまっていて。
    とにかく「同じこと」の繰り返しが終わらない。
    負のループが終わらない。

    そして、その度に虚しさと、どうでも良さとを感じ。
    そして心臓が圧迫されていく。
    ものすごく辛い。

    ものすごく泣くこともあれば
    涙なんか一滴もでずに冷めている時もある。

    夜、できるだけ早く床につくようにするが
    眠れるわけもなく。1時間2時間とうだうだ「イヤな気持ち」を感じ。
    気づいたら眠っているけれど、朝起きてもどんより。心臓が痛い。体も重い。

    つまり、起き上がれない。
    目覚ましは8時半。だけどその時間に起き上がることはない。
    9時には、と思って二度寝する。
    9時台には、必ず。

    そう強く思ったとて、体も心も全く準備ができず。
    起き上がれない鉛のような塊を転がして、
    そのまままた目を瞑る。
    そのまま眠ってしまえばいいのに、と
    何度も何度も思ってきた。

    必ず、目を覚ます。
    そしてまた変わらない日々。

    心臓は、重い。

    どうして、こんなに重いのか。

    わたしの「こころ」は死んでない。
    だから、こんなにも「感情」に苦しんでいる。

    脳のせいでもあるのだろうが
    脳はわたしの思い通りにはなってくれない。
    こころなら、そうなるのか?
    こころだって、そうならない。

    無意識が95%なら、
    わたしたちがコントロールできることなど
    ほぼほぼ、ないに等しい。

    今、わたしは「はなし」をしたくない。
    言葉で人と会話することを嫌悪している。
    パートナーと話したくない。

    感情的になるし、「謝る」ことができないからだ。

    謝ること。

    男は、なぜ謝らないのか。

    なぜ、女に求めるのだろうか。
    謝ってもらうことを。

    わたしの家族だった祖父、父、兄。
    この1番ちかしい、血の繋がった男たちは、
    まぁ「謝らない」人間であった。

    本当に、謝らない。

    祖父は支配の男。ワンマンな一人っ子だ。
    父は田舎者で理屈だけは達者。口が悪い。
    兄はクソ真面目でプライドの高い地味な男。

    誰一人、まともに「謝ること」がなかった男たち。

    そんな男たちに囲まれて育った。

    祖父はわたしの母(祖父にとっての娘)を「言うことをきかない」からと言って蹴り飛ばしたり、暴力を平気でふるうような男だった。

    父も兄も「図星なことを言ってくるわたし」に対して
    手をだすような未熟な男たちだった。

    男を怒らせる女が「悪い」のだろうか。
    そして、いつだってその「悪い女」が男のために
    謝らねばいけないのだろうか。

    この構図は、なんなんだろうか。

    わたしは、だから、「男に謝ってもらう」という経験が少ない。

    そうだ。最初に、印象的だったのは
    20代の頃、わたしが初めて真剣交際した相手で、4年間結婚前提でつきあっていた時の相手のお父さん。

    私はその時の彼とは何度も別れては復縁し。そして最終的に
    こどもができたのだけれど、わたしが「親のせい」にして中絶をして、別れた。そんな相手だったのだけれど、彼のお父さんは「俺の息子が悪かったなら、一緒に謝らせる。ちゃんと、謝る。だからなんとかもう一度復縁をしないか。考え直してくれないか」と。電話でも伝えられて、それでも断ると、うちまで直接やってきて「謝りたい」と。

    なぜか、そこまでしてくれるほど、私は彼のお父さんから気に入られていた。私も、お父さんのことは尊敬していて。大好きだった。こんなお父さんの娘になれるんなら、どれほど幸せだろうかと。想像していた。
    彼と結婚することは、わたしにとって「幸せ」であった。

    だけど、わたしが台無しにした。彼は全く悪くなかった。
    わたしの親、家族の問題だった。

    そう。
    1番最初に、「男に謝ってもらった」経験は、交際相手のお父さんだった。
    大手企業の部長をしている人で。二十歳すぎの若造のわたしに対しても、いつも会うと丁寧語で。優しく話しかけてくれて。すごく、居心地がよかった。彼のお父さんお母さんと一緒に過ごす時間は、とても幸せだった。

    わたしは、父にも、兄にも、まともに「謝ってもらう」ことがなかったから。祖父だって、平気で嘘をつく人間で。どれだけ怒っても、謝られたことなんかなかった。

    そして、つい最近のこと。
    わたしはフレンチレストランでのバイトを何度かしていて。
    オーナーのシェフと連絡先を交換していた。直接やりとりしてバイトが決まった。が、条件が不一致なことが発覚したり、職場でとても失礼な扱いを受けたりと、イヤな思いをすることが重なった。シェフに対しても信用を失うようなことだったので、思い切ってメールで伝えて。「バイトは昨日で最後にさせてもらいます」と。1年の中で1番繁忙期であろうクリスマスのバイトを当日辞退することにした。元々、わたしでは力不足だったので、サービスの責任を負えないということも伝えていた。

    相手からしたら、けっこう「いやなこと」だったと思う。
    なので、キツイ内容の返信が返ってくることを想像していた。相手は相手の都合や立場があるから、そういうキツイ内容が返ってきても。それはそれで、真摯に受け止めようと心づもりしていた。

    けれど、予想に反し。返ってきた返信はこうだった。

    「なんだか、申し訳なかったです。結果的に、ごめんね」と。

    わたしは、この内容を読んで
    気づいたら、涙がたくさん溢れて出ていた。

    理由は、色々と思いついた。
    自分のサービスの技量が、おいつかなくて。本当は自分がお店に対して申し訳なかったのと。悔しい気持ちと。
    だけど、もっとできるはずと思う気持ちとは裏腹に、望まれている判断のその基準がわからず。色々と酷い言葉をかけられたり、シェフの補佐役の奥様には呆れられるような態度をとられ、昔長く働いていた女性にもバカにされ、帰りに「お疲れ様でした」と、挨拶を2回も声かけしたのに、2回とも無視をされて。ものすごくイヤな気持ちになったこと。

    上手くできなかったことの悔しさが大きいけれど。
    でも、そもそも、そんなバイトにすがるしかない自分のことが情けなく、悔しくもあり。

    指示を上手く行動にうつせない。そういう、これまでの職場でも上手くいかないこと。パートナーともずっと「問題」になって失敗ばかりになっていることの、いろいろな積み重ねを思い出して、涙が溢れていた。

    そして、
    こう思ったのだ。

    「ああ、わたしは男の人に謝って欲しいんだな」

    と。

    自分の思いを伝えて。
    自分の「いやだ」と思うことをちゃんと伝えて。
    そのことに対して、何もわずに、ただただ「謝る」ことをして欲しい。
    してくれる「大人な男性」を、きっと求めていたんだなって。

    大人は、謝れるから。

    「大人な男」
    「大人な男性」

    を、わたしは
    これまでの人生で、

    本当は「切望していた」のだと思う。



  • 2024年12月29日(日)

    長年のパートナーがいる。
    男女関係でもあり、恩師でもある。長い付き合いで、こどもも含めお世話になっている。わたしは、母と実家の家庭環境の問題をずっと抱えていた人だった。今でもひきづっていて、なかなか「おわり」が見えない中にいて。
    正直、辛い。

    いわゆる共依存で、家族は機能不全であった。
    そしてわたしは発達特性が強く、場や環境のエネルギーにも敏感な人で。
    子供の頃に既に「家を早く出たい」と思っていた。

    家は、祖父母が家業を営み、母が継ぐことになり、父が婿養子に入った家庭。家族は公私混同で、祖父母はワンマンな昔ながらの「支配的な人間」だったので、父も母もずっとそんな祖父母と「衝突」していた。
    なので、自宅でもその影響は大きく。わたしはそんな「いがみあい」の家族の中で育ってきた。

    祖父母は「平気で嘘をつく」人たちだった。
    なので、私は小さい頃に既に、大人を信用していなかった。
    母は母で、ADHD気質が強い人で、約束のやの字もないような人だったので、母が「○分後に迎えにいく」というような、習い事の迎えの時間など、まぁアテにならなかった。10分と言って、1時間遅れてくるとか当たり前。

    しかも当時は公衆電話で電話をかけ、自宅にかけるしかなかった。自分はかけるけど、私への連絡手段は、ない。ただひたすら、来るのを待つしかなかった小学校から中学生時代。高校ではポケベルを持っていたので、まだマシだったけれど。母の「口だけの時間の約束」はほぼ守られることなどなかった。

    「約束」なんて、誰からも学ばなかった。

    なので、大人になって大変だった。どのくらい「約束」が大事なのか。
    その、小さな積み重ねが「信用」という大事なものになるのか。

    全く、知らないで大きくなってしまった。

    こんな話をする予定ではなかったのだけど。結局、こういうところに行き着く。むかつく。「親に教えてもらえなかった」ということを、いまだに「言い訳」にしている自分にも、ほとほと嫌気がさしているのだけれど。

    でも、やめられない。

    やめるべきことを、わたしはやめられず。
    いまだに、恩師でありパートナーである、1番「大切な人」に
    同じことを伝えられている。

    いい加減、イヤなのに。
    どうしてやめられないのだろうか。

    どうして「感情的」になることを
    わたしはやめられないのだろうか。

    イヤになる。

    全てを「壊したくなる」衝動を、抑えられない。

    色々「言われること」も、もう聞きたくない。

    頑張っていること、前向きにやっていることを
    認めて欲しい。受け入れてもらいたい。

    これまでと「同じ」ではない自分を

    どうして感じてもらえないんだろうか。

    それとも
    本当に「同じ」なんだろうか。

    わたしは「一ミリも変わってない」のだろうか。

    自分で自分のことがわからない。

    そんなことは
    今に始まったことじゃないけれど。

    人は、どこまで「複雑」なんだろうか。

    わたしが勝手に「複雑」にしているのだろうか。

    本当は「簡単」なんだろうか?

    簡単に「望む結果」が手に入るのだろうか?

    手に入らないようにしているのだろか。

    この堂々巡りの負のループを抜け出すには
    どうしたらいいんだろうか。

    虚しい。
    悲しい。

  • 2024年12月26日(木)


    今日から思っていることを色々書いていく。
    日記です。Notionを使ってプライベートで1ヶ月書いてきたんだけれど。ウェブサイトに書いていくことにします。

    基本、ダラダラと「思いつくまま」に。

    わたしは幼少期から、「愚痴と文句だらけ」の家庭に育ち
    父も母も祖父母とよく喧嘩をし、特に母親から「愚痴」を沢山聞いてきた。長女であったこともあり、母親にとっては「特別な存在」だったのだと思う。心理的にね。

    だから、昔から「聞き役」で。
    だけど、愚痴はものすごく「イヤなもの」だというこは、感覚で分かっていた。なんせ、小学生の時点で「家出したい」と思っていたくらいだし。実際に、近所の家に家出した。隠しておいてくれたけど、まぁ見つかるよね。外に出ていく勇気もなかったし、お金も持っていなかった。ひ弱な女の子であった。

    そういうわけで。
    愚痴は嫌い。

    わたしは、絶対に愚痴なんぞ、吐かん。

    気づいたら、そう決めていて。
    わたしは、何かイヤなことや「ん?」と思うことがあっても
    誰にもその気持ちを吐き出すこともなく。こうして日記に書くようなこともなく。ひたすら、「自分の中」に溜め込んでいた。

    だからだ。

    わたしは大人になって、その「皺寄せ」として、激しく人に「感情的にぶつける」ようになっていた。自分の中の器が、キャパオーバーになってしまったのだ。

    自分で言うのもなんだけど、年齢的に言えば
    わたしがぶちまけ始めたのが30代半ばとかなので、まぁ「我慢した」方じゃなかろうか。それなりの器があったんじゃなかろうか、と思うよね。頑張ったよ、わたし。誰にも「自分の負」をシェアしたくなかったんでしょ?母親にずっとされてきたように。

    偉いよ。頑張ったよ。
    誰もさ、あなたがそんな経緯があって愚痴ってこなかったなんて。知りゃしないよ。自分でも気づいてなかったくらいだしね。ほんと、「そういうこと」を分かってくれる人に出会えて、自分のことを繊細に、分かってくれる人がいてくれて、本当に良かったよね。

    わたしは
    ものすごく幸運な人だと思う。

    人運は、すこぶるいいと、自負している。


    ああ、気分がいい。

    今日は、気分がいいぞ。

    明日も、きっと、

    気分が、いい。