わたしの「信念」
自分の問題が終わらなければ「子育て」なんて、できない。
これは、信念だった。
子育てなんて大事なこと。
自分の「親子問題」がある状態で、できるわけがないだろう。
まともに、「いい子育て」なんて、できるわけがない。
これが、わたしの「想い」であり、原動力だった。
子供の頃から切望していた、家族。
両親も祖父母も、いる。なんなら兄と妹もいる。
大人は4人もいた家庭だったけれど、機能不全だった。
誰1人として「おとなな大人」がいなかった。
わたしは「大人」として、子育てがしたかった。
自分の「問題」を終わらせたかった。
こどもができてから。
1人目、2人目、とできて離婚して。
真剣に自分の人生と向き合わなければいけなくなって。
こどもたちと共に、どう生きていけばいいか。
ものすごく不安で。怖くて。
元々、自分の人生だけでも「わたし、なにやってんだろ」って
ずっと思ってきたのに。
大切ないのちが、二つ。
大切な人生が、二つ。
あまりにも「責任」が大きすぎた。
絶対に、自分のこの「自分自身に対する不安」を
取り除かなければ、この子たちを育てていくことなんか、できない。
ものすごく強い気持ちだった。
この10年。
親のことを気にして。
自分の問題をどうにかしたくて。
それに過集中した結果
生活は崩壊。
こどもたちのことも、みれず。守れず。
わたしは「おとな」になれなかった。
いっこうに、なれなかった。
わたしは家族を許せなかった。
母親を、到底許せない。
そのことに執着し、
絶対に許せない気持ちを抱え続けていたわたしは
案の定「子育て」ができなかった。
終わるまで「できない」って、決めてんだから。
それが、わたしの揺るぎない「信念」だったのだから。
信念は、貫かれる。
わたしは
身を持って知った。
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