あいむすぶ

日記という名の感情のはきだし

1月13日(月)

もやもやしている。いらいらしている。
本当かどうかわからないことで、「お前が間違えていた」と言われることが
本当に嫌いだ。ものすごく不快。

しつこく説明されるのも、ずっと不快だ。
なぜそれが「相手の不快になっていること」がわからないのだろうか。
どうして「自分の正しさ」を伝え続けてくるのか。
もちろん、確実なことで、わたしが間違えているなら、いい。
言われることを、納得して受け入れる。
言い返すこともない。

だけど、そうではないのだ。
本人に実際きかなければわからないことを、
こうだと決めつけて、わたしの言動がおかしかった、酷かったと
何回も何回も咎められること、指摘し続けられることに、うんざりする。

今に始まったことじゃない。何年もそうされていることに
わたしは反発心しかない。
感情的に「拒絶」が入っていると、とまらない。
どうしても「物申したくなる」ので、言い返すことになる。
どうしても、その衝動は止められない。


元々、この元凶は「親」である。
父親だ。父親が、まぁくどくど言ってくる。
自分が「できもしない」ことや、「頭だけで知ってる」ようなことを
基準にして、「おまえが間違えてる」と言ってくること。

そういうことが、私は昔から大嫌いだ。
そして、腹が立ってきて歯向かうし、言い返すし
自分の主張をわたしは伝える。控えることがない。

感情に飲み込まれる
という状態である、と言われればそうだろう。
腹が立つ。ただただ、相手の言うことを聞き入れるということはできない。

ただ、今回の相手。
父のように怒鳴りながら言ってきるか?
というと、そうではない。

が、伝えてくる内容は「お前が間違っている」ということ。
そうであるかぎり、わたしは反応してしまう。

感情を抑えるには
一体どうすればいいのだろうか。

どうしても、言い返してしまう。

以前のように、罪悪感でいっぱいになったり
することはもうしない。
なぜなら、そうなると「不健康」になるからだ。
自分を罪で罰し、自責にまみれると「病気になる」
「ネガティブな自分で全てを破壊する」と
わたしは学んだからだ。

だから、罪悪感はもう感じない。
そうならないために、自分を抑え、
できるかぎりコントロールするように努める。

今こうして吐き出していることも、そうだ。
リアルタイムで、ちゃんと感情や気持ちに寄り添うこと。

できない自分を、きちんと受け入れてあげること。
不要なアクションを起こして
負の種を蒔くことを、やめる。

それが、今わたしがしていること。

わたしはこれでも
過去の自分よりも成長しているのだ。

自分を、受け入れる練習。
自分を、肯定する練習だ。

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です