あいむすぶ

日記という名の感情のはきだし

1月7日(火)

わたしの「信念」

自分の問題が終わらなければ「子育て」なんて、できない。


これは、信念だった。

子育てなんて大事なこと。
自分の「親子問題」がある状態で、できるわけがないだろう。
まともに、「いい子育て」なんて、できるわけがない。

これが、わたしの「想い」であり、原動力だった。

子供の頃から切望していた、家族。
両親も祖父母も、いる。なんなら兄と妹もいる。
大人は4人もいた家庭だったけれど、機能不全だった。
誰1人として「おとなな大人」がいなかった。

わたしは「大人」として、子育てがしたかった。

自分の「問題」を終わらせたかった。

こどもができてから。
1人目、2人目、とできて離婚して。
真剣に自分の人生と向き合わなければいけなくなって。
こどもたちと共に、どう生きていけばいいか。
ものすごく不安で。怖くて。

元々、自分の人生だけでも「わたし、なにやってんだろ」って
ずっと思ってきたのに。

大切ないのちが、二つ。
大切な人生が、二つ。

あまりにも「責任」が大きすぎた。

絶対に、自分のこの「自分自身に対する不安」を
取り除かなければ、この子たちを育てていくことなんか、できない。

ものすごく強い気持ちだった。


この10年。

親のことを気にして。
自分の問題をどうにかしたくて。
それに過集中した結果

生活は崩壊。
こどもたちのことも、みれず。守れず。

わたしは「おとな」になれなかった。

いっこうに、なれなかった。

わたしは家族を許せなかった。

母親を、到底許せない。

そのことに執着し、
絶対に許せない気持ちを抱え続けていたわたしは
案の定「子育て」ができなかった。

終わるまで「できない」って、決めてんだから。
それが、わたしの揺るぎない「信念」だったのだから。

信念は、貫かれる。


わたしは
身を持って知った。

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