長年のパートナーがいる。
男女関係でもあり、恩師でもある。長い付き合いで、こどもも含めお世話になっている。わたしは、母と実家の家庭環境の問題をずっと抱えていた人だった。今でもひきづっていて、なかなか「おわり」が見えない中にいて。
正直、辛い。
いわゆる共依存で、家族は機能不全であった。
そしてわたしは発達特性が強く、場や環境のエネルギーにも敏感な人で。
子供の頃に既に「家を早く出たい」と思っていた。
家は、祖父母が家業を営み、母が継ぐことになり、父が婿養子に入った家庭。家族は公私混同で、祖父母はワンマンな昔ながらの「支配的な人間」だったので、父も母もずっとそんな祖父母と「衝突」していた。
なので、自宅でもその影響は大きく。わたしはそんな「いがみあい」の家族の中で育ってきた。
祖父母は「平気で嘘をつく」人たちだった。
なので、私は小さい頃に既に、大人を信用していなかった。
母は母で、ADHD気質が強い人で、約束のやの字もないような人だったので、母が「○分後に迎えにいく」というような、習い事の迎えの時間など、まぁアテにならなかった。10分と言って、1時間遅れてくるとか当たり前。
しかも当時は公衆電話で電話をかけ、自宅にかけるしかなかった。自分はかけるけど、私への連絡手段は、ない。ただひたすら、来るのを待つしかなかった小学校から中学生時代。高校ではポケベルを持っていたので、まだマシだったけれど。母の「口だけの時間の約束」はほぼ守られることなどなかった。
「約束」なんて、誰からも学ばなかった。
なので、大人になって大変だった。どのくらい「約束」が大事なのか。
その、小さな積み重ねが「信用」という大事なものになるのか。
全く、知らないで大きくなってしまった。
こんな話をする予定ではなかったのだけど。結局、こういうところに行き着く。むかつく。「親に教えてもらえなかった」ということを、いまだに「言い訳」にしている自分にも、ほとほと嫌気がさしているのだけれど。
でも、やめられない。
やめるべきことを、わたしはやめられず。
いまだに、恩師でありパートナーである、1番「大切な人」に
同じことを伝えられている。
いい加減、イヤなのに。
どうしてやめられないのだろうか。
どうして「感情的」になることを
わたしはやめられないのだろうか。
イヤになる。
全てを「壊したくなる」衝動を、抑えられない。
色々「言われること」も、もう聞きたくない。
頑張っていること、前向きにやっていることを
認めて欲しい。受け入れてもらいたい。
これまでと「同じ」ではない自分を
どうして感じてもらえないんだろうか。
それとも
本当に「同じ」なんだろうか。
わたしは「一ミリも変わってない」のだろうか。
自分で自分のことがわからない。
そんなことは
今に始まったことじゃないけれど。
人は、どこまで「複雑」なんだろうか。
わたしが勝手に「複雑」にしているのだろうか。
本当は「簡単」なんだろうか?
簡単に「望む結果」が手に入るのだろうか?
手に入らないようにしているのだろか。
この堂々巡りの負のループを抜け出すには
どうしたらいいんだろうか。
虚しい。
悲しい。
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